日誌

生きる活力はアイドルです

人間力を高めたい

今週のお題「今年の抱負」

金八(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)

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 金八金八金八金八金曜八時はテレビに出たいの六本木、でおなじみの私立恵比寿中学ニューアルバム金八です。良かったら聞いてみてください。

 

 今年の抱負、ってとっつきやすそうだから、書いてみようかなって思ったんだけど、大体今年は~とか今期は~とかで目標をたてても達成されていないんですよね。一つは、自分の力量を見誤った夢見がちな目標をたててしまうから。もう一つはあまりにも抽象的な目標を立てるから、達成されたのかされていないのかよくわからない、っていうのが原因だと思うんですよ。だから、自分のできることを考慮したうえで、具体的な目標を立てることが肝心なんですね。ということで

  • お米を炊く

 何のこっちゃと思うんですけど、これが以外と重要なんですよ。お米を炊いておくと、あーご飯にしようと思ったときに、そうだ家にお米があるから簡単なモノをささっと作って食べよう、って思うんですね。すると、自炊をすることにつながる(最悪でもおかずになる惣菜をかってくる、で済む)し、さらには節約にもなるんです。しかし、お米を炊いておかないと、あーお腹すいたのにここからご飯炊かなきゃならないのか、めんどくさいなー、なんか買ってきて済ませよー、になってしまうのです。これが今の私です。単純にお金がかかるんですよ。炊事能力もあがらないので、人間力もあがらない。(友達が、おいしいご飯をつくって健康な生活を送ることは女子力ではなくて人間力だと思うといっていたのでそれに準拠します)だから、お米をちゃんと炊いておくこと!大事!ウォッチッチ!

  • A.B.C-Z関連の現場に極力行く

 春から上京するので、今までは東京まで行くのめんどくさいなーという理由で行かなかった現場にもホイホイいけるようになるわけです。だいたいこういうのは、行こうか、行くまいか悩んでいるうちに、申し込みの締め切りが来て、あーまぁ縁がなかったんだろうなー、で済ませてしまいがちだったのですが、最初から行くということを前提にしておけば悩んで先延ばしにしていきそびれるということもなくなります。優柔不断なのでこうしておいたほうが、いい気がするのです。ただ、多ステすることに喜びを感じないタイプなので、一イベント1回ぐらいで十分です。そしてそのためにも、自炊をしてお金を貯める!ということで、昨日戸塚さんの4月舞台の振り込みをしてきました。そのときに行った郵便局で、予備試験の申込書を抱えた同級生と遭遇してしまい、わたしは頭を抱えました。

 

 本来であれば、ここでは学業のこととかを宣言するべきだと思うんですね。春から上京しますなんていうのは、決して娯楽のためではなくて、大学院に進学するために他ならないので。ただ、今まで学業について何か宣言をしてそれが言葉通り守られたことなんてなかったし、守れなかったということに対して、結構ダメージを受けるタイプなんですよ。だから、そんなことになるなら、目標なんてたてないほうがいいんです。

 ただひとつだけ、もっと生きて生きやすくなるために。過剰におごらないこと、過剰に卑下しないこと、は、折に触れて自分に確認しようと思っています。今の大学になじめなくなった最大の原因は自分を卑下しすぎた結果やる気を失ったことにあると思っているので、ある程度自信は持って、でも持ちすぎないで、自立しようと思います。

 

 多分今年が終わる頃に、この記事を振り返るかといわれれば、振り返ることはありませんが、そんな風に生きていけたらいいなと思います。

正義感と思い出

 今日の朝、というか、4時ぐらいに、色々考え事をしていて、実家のすぐ近くに児童養護施設があったことを思い出した。その施設の目の前には大きな公園があって、私もよく遊びに入っていたし、施設の子達とも一緒に遊んだことも何度もある。施設の体育館で遊んだこともあるし、小学校には、そこの施設から通っている子が何人かいた。今ここでは、施設の子と表現しているけど、当時の私に、自分と、施設の子と、他の子たちに、大きな区別はなかった。みんな等しく同級生。

 わたしの将来のやりたいことの分野の一つが、児童福祉である。これを考えるようになったのは、中学生の時であった。それなりの正義感から出てきた希望だし、今日の今日まで、純粋に、そういう子どもたちに対してできることがあるならやりたい!と無邪気に考えていた。

 ただ、ふと思い出してしまった。思い出してしまった途端に、自分の無邪気な希望は邪悪なモノにしか見えなくなった。邪悪、自分は恵まれているという、選民意識というか、他人を思いっきり見下しているような、そういうところから、出てきた希望。上でも言ったけど、そこの施設の子達のことをかわいそうだって思ったことは一度もなかったはずだった。たまに、施設の前に車が止まっていて、本当の親が年に何回か会いにきてるねんで、と母が教えてくれたけど、色々複雑なんだなーと思ったきりで、彼女たちのことをかわいそうだとおもったことはなかった。でも、中学生になって、私は私立の中学に進んだから、彼女たちとの交流がなくなって、気づいたら、児童福祉に興味があるとか言い出していた。そのときに言った、児童福祉という言葉の向こう側にいる客体は、自分の実体験とはかけ離れた、自分の脳内で作り上げた、かわいそうな子だったんだと思う。そして、今日の今日までその、脳内が作り上げたかわいそうな子が実在するのだと信じて、その子の手助けをしたいとかいう身勝手な正義感にあふれて、わたしは、今まで、何を考えていたんだろう。何が見えていたんだろう。昔のことをおもいだして、急に怖くなった。自分の、無意識の差別意識みたいなものが、怖くて仕方なくなった。

 もちろん、誰かの介入を必要としている人は、世の中に本当にいるし、自分が接していた、いわゆる施設の子達も、小学生の自分には何にも見えていなかっただけで、困っていることとか、色々あったんだと思う。そこは、否定できない。ただ、自分の思い描いている、理想の仕事は、あまりにも現実とかけ離れたところで、他人をバカにしていただけだったんだ。

 これ以外にもたくさんあると思う。正義感の押しつけ。かわいそうな人を勝手に作り上げて、それを救う自分という妄想。現実をよく知って、偏見をもたないで、フラットに、そうじゃないと、自分が気持ちよくなるために、気づかないところでたくさんの人を傷つけることになる。

 そんなことに、気づいて、自分の正義感が、恐ろしくなった。

1月25日

突然だけど、手帳が欲しくなってきている。

 ちなみに、わたしは手帳を活用できない。予定がそもそもそんなに多くないということもあるけど、予定があったところで、手帳に書いたりしない。じゃあどこに書いているかというと、どこにも書いていない。全て頭の中で記憶している。でも、用事をすっぽかすことはない。めったに。ただ、やっぱりどこにもスケジュールを書くあてがないと少し不安になるし、年始のちょっとテンションが高い状態になっていると、じゃあレコーディングダイエットでも始めたろうかなとか、思ってしまう。どーせ続かへんくせにな!中学にはいったころに、スケジュール帳というものを買い始めて、それ以来10年近く毎年買ってはきたものの、だいたい、下半期は真っ白の状態で一年が終わる。そもそも予定なんて遠くて一ヶ月先のことぐらいしか具体的には決まらないんだから、それぐらい頭で覚えられるだろうし、特に課題とか出さなきゃ社会的に死ぬ案件なんて、その期日がやってくるまでそのことで頭がいっぱいになる。それ以外のイベントは、自分が主催のことでもなければ、リマインダーは回ってくる。それで十分だろ!他人任せだけど!だから、今年は買わない!買わないってきめた!!!多分!買わない!とかいいつつやっぱり手帳がほしいと思ってほぼ日手帳のことを検索している。

 ここ一年の中で一番肌がきれいだ。他の人と比べてではなくて、あくまで自分比でしかないので、それこそニキビが全部治ったとか、その程度だけど。とにかくしつこくニキビに悩まされていた。思春期の時なんてほとんどできなかったのに、大人になってからひどくなった。ちょこちょこ市販の塗り薬を塗ってみたり、ビタミンをとってみたりしてたけど、全然よくならなくて、年末に実家に帰ったときに、皮膚科でニキビ用の塗り薬をもらったら、一気に治った。結局、病院が最強なのだと思い知らされた。ルードウィヒを見に行ったときに、私が座っていた目の前の階段にはしもとくんが腰掛けたから、そのときに肌の状態を目からビームを出す勢いで見た。普通にニキビがあった。人間だった。妙に安心した。わかる~20代になっても案外肌の状態安定しないよね~わかる~って言いたくなった。ニキビのこと考えてたら、そんなことを思い出した。

 

テストの前って、かたい文章ばっかり読んだり書いたりするから、ネタもないのに、どうでもいいこと、アウトプットしちゃうよね。あるある~。

1月23日

 起きて、お腹が痛くて、髪がぼさぼさで、今日は外に出る気がしないなと思ったから、ずっと布団の中にいた。テスト前。知ってる。

 何か書こうと思ってたんだけど、何を書こうと思ってたのか、忘れてしまった。元彼にもらったギター捨てなきゃ。結局三年たってもほとんど上達しなかった。ピアノの方が好き。

 スポーツを見ていると、いつも負ける。今日も負けた。チャンネル変えた瞬間に本田がPK.をすごい勢いで外した。負けるときの方が印象に残るから、わたしがスポーツを見ると負けるだなんて錯覚するだけのような気がするけど。高校生三年生の時に、野球部の全校応援に行ったことがある。母校の野球部はそれなりに強くて、特進コースは入部ができなかった。わたしは特進だったから、野球部に思い入れも何もなかったし、模試が近かったから、そんなことより勉強したかった。でも、それまで中学の時からずっと皆勤だったから、なんとなく休めなかった。暑いのがだるくて、試合を見ないで日陰でぼーっとしてたら、学年主任に怒られた。結局負けたんだ。どれぐらいの点差で、相手がどれぐらい強い高校で、どんな負け方をしたのか少しも覚えていないけど、普通科の女の子達が泣いていたのを覚えてる。その子たち、野球部のマネージャーとかでもなければ、ちょっと前までワールドカップか何かで騒いで多様な気がしたし、バカなのかなって思った。だけど、これが青春ってやつなんだと思い知らされた。帰りに予備校に向かう電車ですぐ英単語帳を開いたときに、私に青春なんかないのかもしれないと少しだけ切なくなった。

 学歴なんて必要ないとか、意味ないとか、学歴ばっかりあっても使えない奴ばっかりっていう言説をみるたびに、嫌な気持ちになる。小学生の時、中学生の時、高校生の時、目標の学校に行きたくて、必死に戦っていた自分のことを否定されるいわれはどこにもない。予備校の講習の昼休みに友達とお昼ご飯食べたこととか、どうやったら点数上がるか一緒に考えたこととか、悔しくて泣いたこととか、全部報われたときの気持ちとか、そこまでやってきた努力とか、否定されるいわれはどこにもない。学歴って、甲子園出場経験ときっと同じなんだって、思う。甲子園に出たこと、そのこと自体は、誰にもバカにされるようなことではないし、その成功体験を自分のよりどころにすることも、否定されることじゃない。でも、それだけじゃ何にもならないし、そこから何をするかも、同じくらい大切だって、思う。これ前にも書いたことあるね。人間、どこへいっても、何を手にしても、手に入れられなくても、人の批判にあうのだから、そんなこと気にしても意味ないって、わかるけど、でもねやっぱり、自分の人生を否定されるのは悲しい。

 お腹が痛い。内診のトピックがあったから、いろいろ読んでたけど、余計に怖くなった。産婦人科いかなきゃならない気が猛烈にするんだけど、いやだな、いきたくない。病院に行かなきゃならないような気がしていること、体中にあるけど、お金がないとか時間がないとか、テキトーな理由をつけていっていない。でも、アイドルのDVDは買う。あとマルちゃんの鍋つゆ豚骨味がめちゃくちゃおいしい。

アイドルだって靴磨いてる

 そういえば、3日に帰省してきてからというもの、だれとも話をしていない。声を出していない。気づいてしまった。誰にも明けましておめでとうとも言っていない。すごいことかもしれない。いや、この前まで、二ヶ月か、三ヶ月くらい母親以外と一切話していなかったことを考えると、たかだか3週間弱なんてまだまだ序の口かもしれない。人と話さないでいると、毎日がものすごい速さで過ぎていく。毎日毎日、何の記憶もない。結局、人間は人と関わることがなければ、生きている価値もないみたいで、それがすごく悲しい。新年会とか誘われたけど行かなかった。卒論書いてる人たち、みんな自分の研究の話ばっかりするから、何にもおもしろくない。自分と違うジャンルの話って楽しい~(フルフル)みたいなの、あれは隣接領域だから楽しいんであって、文系オブザ文系の法学部に向かって、実験のための機械の話(もはや研究対象の話でもない)とかされても、馬の耳に念仏どころか、クリスチャンに念仏並の行為だから。あーあ、こういうこと言ってるから友達いないんだろうな。あーあ。

 何か、あまりにも暗いことを発信しそうになって、一心不乱に靴を磨いた。この靴高かったけど、いくらくらいしたのか、全然覚えてない。一番欲しかったのは、5万くらいしたんだけど、さすがにそれは諦めたようなことだけは覚えてる。どれぐらいの収入があれば、5万円の靴を日常使いに履いても許されるかな。

 アイドルのプライベートの写真が出たときに、どこの洋服か解析されるのが、楽しい。何を見てるかって、値段を見てるんだけどね。ゲスだね。どれくらいお金を稼いだらそれくらいの服が着られるのかなって考える。どれぐらいお金を稼いだら65kのスタジャンは着られるの?感覚が遠くなれば遠くなるほど、冷めていきそうな気はしている。自分がわざわざお金を出さなくても、誰かがその分出してくれるであろうものに、お金を出したくないっていう駄目な地下アイドルオタクの思考が、どこかに潜んでる。何でもかんでも、自分がその「モノ」が欲しいからお金を出している訳じゃない。一枚でも売れてほしいから、お金を出してる場合がほとんどだ。これがいつか義務感になって苦しくなって、他界につながる。自分でもくそだと思う。

 いつか嫌いになる前に、遊園地にいこう。お化け屋敷は怖いから、なしにしよう。帰る前に観覧車にのっていこうね。

 茶の間になりたい。ほんとは茶の間になりたい。年に二回くらいコンサートに行きたい。春と冬がいい。それぞれ、ドームは遠いから、アリーナくらいにしよう。サンキューベイビートーキョー!毎日テレビを見ているだけで、みんなと盛り上がりたい。お金かけたくない。お金かける価値がないって言ってるんじゃない。わたしに、それだけのリソースがない。時間もないから労働力がないしお金がない。だから、自分の中で、見られないもの、聞けないものがたくさんあることに納得してる、割り切ってはいるけど、ほんとは色んなことしりたい。あまりにも理不尽だし、なめてんじゃねーって感じだけど、すごく、ものすごく面倒くさい。根本的にオタクになれないタイプなんだ。色んなモノをかじっては投げ、かじっては投げするタイプなんだよ。一緒だね!塚田くんもそういうタイプだろ多分!だってもう女の子のアイドルの話全然しないじゃん!リカまでやって飽きたんでしょ!もう、今年のツアーでは、絶対女装しない。一つのことを掘り下げて行くに当たって、いつかどこかで、壁にぶちあたる。どこかで、大きなコストを払わなければならなくなる。そのコストを払うために、自分の身体をひねって、えぐって、しぼりだすのが、面倒くさすぎて、そこから他界する。オタクになれない自分にたいする劣等感。あたしこのまま、人に誇れるものもなくて、薄っぺらい知識だけを貼り付けたおばさんになるのかな。

 今は、まだ楽しいんだけどね。キャッキャウフフしてる他の人をみながら、ソロプレイしてる自分のことが、少しだけ悲しくなったりもするんだよ。こんな気持ちになるくらいなら、さっさと他界した方が楽かもしれないけど、ここ他界したら今度こそ社会とのつながりが途切れて、ひとたまりもなく死んでしまう。

 5starの頂上で、チュッてして。今年も多分見に行くし。

ねぇ、あいみみしよ

思いもよらなかった人が、思いもしない病気に突然なったりする。死ぬわけじゃないけど、治し方が見つかってないんだって。なにそれ。意味のわからない恐怖感は、意味のわかる恐怖感の何倍も怖い。なんでこんなに怖いのかわからないことが、余計に怖い。死ぬんじゃないんだし、何にも、怖いことなんてないのに。自分に何か迷惑がかかるかもしれないとか思ってるのかもしれないって、利己的な自分が見え隠れするのが怖い、のかな?って一番に思いつく自分が利己的。でも、生活には困るだろうから、大変だろうな。わたしが怖いことなんて、何にもない。昼休みに知らされて、動揺して、午後の授業も、半分聞いてて、半分動揺してた。あいみみも芋けんぴも、一時的に気を紛らわすことはできたけど、やっぱりすぐ思い出しちゃって、この時間になっても、病名で検索してる。大体全部見回ったのに。
今日、母親の誕生日だった。思ってたより、一歳多かった。あーあ。もう、おばあちゃんの年なんだな。孫とか、世話してる年だったのかも。子供、誰も結婚しないんだもんね。でも、私まだ学生だもん。
今日、友達の誕生日だった。中学から、ずっと仲良くしてる子。中一の時に出席番号が、前後だったから。その時から、ずっと。でも、大学どこの学部行ってたのか忘れた、っていうか教えてもらったかも怪しいし、四月から何して働くのかも知らない。多分、向こうもわたしが四月から何するか知らない。でも、友達。ほんとに友達。中高一貫だったからその子とか、その子含めて、仲良くしてる子達とか、6年一緒にいたんだもんね。大学の子たちは、毎日一緒にいたのは、2年で、そのあとたまにあうくらいの2年。比べるもんじゃない。ね、好きだ。
また、イスラムの国で、捕まってる人がいる。Twitterの雑コラをケラケラしながら見てた。さすがに不謹慎かもしれないと思って、やめた。ああいうところに行くの自己責任だからって、親に教育されてた。自己責任だけど、テロに巻き込まれて死ねば英雄的に扱われて、何年もワイドショーで追悼特集が組まれる。かたや、拉致されて身代金を要求されると、自業自得だって非難される。どっちも、正直な反応だと思うけど、その二つにはどれぐらいの違いがあるのかなって思う。やってたことは、大して変わらないじゃない。一番いいのは、もう死んでるってパターンかなぁ。それなら、生きている人は、誰も理不尽な非難にさらされない。そうやって、思ってしまう自分は少し怖い。でも、間違っているとも思わない。
フォロワーさんが1日に二人増えたよ。誰にも見られずテキトーなことばかり話したい気持ちと、誰かに見られたい気持ちが、ぐるぐるまわって鳴門海峡。嬉しいな。


1月19日

みんな軍服好き?わたしはね、そんなに、好きじゃない。だって、あくまで、軍服だからね。真面目ちゃん、いい子ちゃん的なことをいいたいんじゃないよ。
なんか、なんか嫌なんだよね。そんなに軽々しくかっこいいだなんだって、言えるなって。今日のことだけじゃないよ。そもそも戦争モノっていうか、そういう感じのやつに対して、かっこいいとかなんとか、言える、線引きというか、それはそれ、これはこれ、これは娯楽、的な感覚、羨ましい。あんまり、手放しに、かっこいいとか、いうの、抵抗ある。バカだから。バカ真面目だから。
でも、物事って、なんでも、いい面と悪い面を抱えているから、わたしがかっこいいだなんだって軽率に言うことも、いろんなことをはらんでいるかもしれない。自分の、嫌悪感は、どこかで矛盾しているかもしれない。大きな声では言いにくい。矛盾を指摘されるのが怖いから。
それでも黙ってられないから、ここに書いとく。みんな見てないでしょ。