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生きる活力はアイドルです

わたしは卒論を書きません

 久しぶりに、ブログを書いていたら、また、アップする前に消えてしまった。きちんと何かしらのバックアップをしておくべきだった。いや、でも、しょうもないことしか書いていないのに、わざわざバックアップ取るほどのことでもないし。うだうだ。


就活より卒論のことを考えてばかりいるので馬鹿にされている話 - ミチクサダイアリー

  内容は、題名の通りである。この記事を読んで、ふと大学に入ってから、人に勉強をしていることについて、なんやかんや言われなくなったな、と気づいた。

 大学はそれなりのところに通っていた。それなりというか、はっきり言うけど、めちゃめちゃ頭の良い大学に通っていた。あと一ヶ月で卒業する。大学にはいって、初めて人に、勉強をしている、と言えるようになったし、その行為でもって人格を否定されなくなった。大げさな言い方になってしまうけど。むしろ、高校生のときまで、よく見聞きしていた、俺勉強してないアピールをすれば、かえってまわりに心配される。大学院へ進学する人が多数派*1なこともあって、今の大学で就活のことばかり考えている人とは、ほとんど出会ったことがない。

 ただ、もっと厳密に言えば、みんなそんなに他人に対して興味がないのだと思う。別にあの子が研究のことばかり考えていようとも、あの子が就活のことばかり考えていようとも、あの子が資格試験のことで頭がいっぱいになっていようとも、そしてあの子が未来のことなんて何にも考えていない生活をしていようとも、自分の目の前には自分の課題があって、それに夢中だから、他人が何していようと関係ない。そして、自分には関係のないことなんだから、他人のことは否定しない。

 

 大学に入って一番変わったのは、こういう他人との距離感だと思う。高校までは、こんな感じではなかった。教室の隅で数学の問題について討論してる奴がいればキモいといい、科学部がグラウンドでロケットを飛ばしていればキモいと言っていた。かくいう私も、朝から晩まで学校の自習室で勉強をしていると、見ず知らずの人に勉強しかできないブスと呼ばれていた。ずっとそれが当たり前だと思っていたし、勉学という方法で身を立てることを決めて以来、これは我慢しなければならないことなのだと思っていた。それが、大学にはいったらぱたりとなくなって、ちょっとしたカルチャーショックだった。都会のめっちゃ頭がいい学校に通っていた子たちは、この環境を中学生の頃から享受していた、ということが羨ましくて仕方がなかった。それと同時に、自分が生きやすいように、自分の周りの環境を整える努力の大切さを痛感した。

 

 冒頭で、大学に就活のことばかり考えている人と、出会ったことがないと言ったけど、訂正する。きっとそういう人もいると思う。でも、そういう人のことを気にとめたことがないので、よくわからない。*2結局のところ、自分は自分だし、他人は他人。どちらが正しいと言うことはなく、どちらもその人にとっては正しい選択である。だからこそ、自分の選択を相手に対して強く主張するのは得策ではない。相手が選択したことの中身について聞くのは楽しいけど、その選択自体には干渉しない。そういう距離感でいられる、自分の大学、というか、自分のいるコミュニティがわたしは好きです。

 

最後になりますが、就活のことを、しゅう↓かつ→と呼ぶのをそろそろ改めたいと、思っております。おやすみ。

*1:全体の三分の二をしめる理系はほぼ全員院進。私のいる法学部はロースクールと公務員を合わせて半分を超える。

*2:ただし、就活予備校として大学にきていたり、就活のために○○みたいな、変なあがき方をする人は少ないと思う。大学からのバックアップも全くない。ボランティアや学生団体で活動をしている人はいるけれど、みんな自分がやりたいからやっている、という印象。