日誌

生きる活力はアイドルです

2014年12月13日だからわかったこと

ルードウィヒ・Bという舞台を見に行ってきました。A.B.C-Z橋本くん、河合さんが出演する舞台へ。

わたしは、何かを考察したり、いろいろくっつけて壮大な物語を創作するような人間ではないので、自分の思ったことをただ書き留めておくものとしようと思います。

 

舞台は、人は勝手に夢をみ、その夢を子供に負わせる・・・といった内容の歌からはじまります。(正しい歌詞は、メモを取る人間ではないのでわかりません、ごめんなさい。以下にでてくる台詞等々も全てそうです。)この歌の冒頭を聞いたときに、ふと父親と母親のことが頭に浮かんできて、何も始まっていないのに、泣きそうになりました。それからも、ルードウィヒと父母とのつながりは劇中何度も出てきます。そのたびに、自分自身の親のことが頭をよぎり、勝手に自分に置き換えて、吐きそうになっていました。ルードウィヒが母親に対し、誰よりもあなたに自分の作った曲を聴かせたかったといったことも、自分のやりたいことを優先させたがために親を見捨てるような形になったことも。自分の事情に引き寄せてみて、何か、心当たりがあるのです。大ありです。もっと、もっとなんで頑張れないかなって、関係ないことを考えて猛烈に泣きそうになっていました。

印象に残ったフレーズは、今わかることと後でわかることがあって、後でわかることのために今努力しなきゃいけない、かなぁ。たしかに、たかが20年ちょっとしか生きてなくても、後になってこそわかることが存在することは、実感をもって知っているけど、そのためには、今の努力が必要だってところにまで気が回ったことはなかったと思います。すべて、積み重ねた上ではじめて、届くところがあるんでしょう。これは、自分のなかでこの先もずっと大切にしていきたい言葉だと思いました。

それ以外にもいくつか、ぱっと思い出せるフレーズはあるけど、なんかそれぞれ言うの恥ずかしいから、黙っておく。忘れてしまってもいいから、ここには残さないでおく。

 

ルードウィヒが、モーツァルトのもとで弾いた、女性口説き曲は、悲愴第二楽章なんです。この曲は昔弾いたことがあります。ちょうど、祖父が亡くなったときにレッスンしていた曲でした。もう10年も前の話です。祖父が亡くなる直前に入院先で、記憶が曖昧になってきて、もうあなたのこと思い出せないかもしれない、って言われたときにも練習した曲。祖父が亡くなって遺体が家に帰って来たときにも、弾きました。ピアノの練習は、一日も休めないから。そんな、まさに悲愴ともいうべき思い出の詰まった曲で、聞けば無条件に悲しくなる曲でした。でも、今日聞いた、悲愴は、まるで違う曲に聞こえました。その題名を聞かなければ、新しく、just for youとでも名付けてしまえそうな曲でした。なんだか、不思議でたまりませんでした。もしかしたら、違う曲を聴いていたのかもしれません。いや、含まれる思い出が異なれば、その人にとってその曲は違う曲なのかもしれません。

 

モーツァルトのこと、あまり好きではありませんでした。バカみたいに陽気な曲ばかりだから。でも、かわいさんが演じるモーツァルトは、愛らしくて、憎めなくて。彼が、僕のやり方はね、と言っているのを聞いてなんだか、モーツァルトに対する嫌いという気持ちが、すっと消えたような気がしました。厳密な史実ではないでしょうから、こんなことで嫌いではなくなるのも変な話ですが。(わたしにとっては)あんなモーツァルトでも、それを河合さんが演じるとなれば、そこまで嫌がるほどのものでもないと思えてしまうのも、一種の舞台マジックかもしれません。

 

舞台のこと、もっと衝動的な感想は、Twitterのほうに残しておきます。

 

ちゃんとした舞台を見に行ったのは、数年ぶりです。中学生の時に学校行事でウェスト・サイド物語を見たのが最後です。どうも演劇は(というかフィクションは)苦手だと思い込んでいて、なかなか試してみる気にならなかったのでした。でも、見に行ってみたら、案外おもしろいんですね。もっといろんなものを見てみたいと素直に思いました。橋本くんも河合さんもこうやってお芝居をしているところを生で見るのは初めてだったので、この人達こんなにすごかったんだって、今更ながらびっくりしました。低く見積もっていたことを、謝りたいくらいです。つくづくアイドルという言葉のパブリックイメージと実際の中身とには大きな差があるんだろうと思いました。

ある方が、アイドルを、自分を新しいことに連れ出す言い訳、口実だとおっしゃってました。正確な表現ではありませんが。今回こうして、ずっと避けてきた舞台なるものを見に行ったのも、まさにそうだと思います。すばらしい口実だった。これからもこうやって、君が出るって言うから仕方なくでいいから、色んなこと体験できたら良いのに。

 

ルードウィヒはかっこよくて、モーツァルトユリシーズは愛らしくてすてきで、ところどころ橋本くんにハートをわしづかみにされて、幸せでいっぱいだけど、そうやって思えば思うほど、つかちゃんがみたいなー、お芝居も、ダンスも、歌ってるところも、みたいな、どんな風になるんだろうってばかり考えてしまうから、誰かのことを一番に好きだって気持ちはややこしい。