日誌

生きる活力はアイドルです

空がいつまでも赤い街

 生まれ育った町は栄えた田舎だった。人口は10万人もいなかったけれど、一応地方中核都市だったからインフラは整っていたんだと思う。駅から家に帰るまでの道はずっと街灯で照らされていて、民家はそれぞれ玄関の電気をつけていた。そもそも、ほとんどのお店は19時ごろにはしまってしまうから、そんなに夜遅くに家の外に出たこともないんだけど。

 少し前まで京都に住んでいた。京都は、生まれた町よりもずっと都会だったけど、なぜだか夜はとても暗かった。街灯が全然なかったし、いや、それよりも、町がじっとりしていた。別に京都が盆地で湿気が多いからではなくて、人が出している空気に湿り気があった。本当のところは、自分の心がすごく暗かったかもしれないけど。

 

 東京に初めて来たとき、深夜に空を見てびっくりした。空が赤かった。もう12時も回る頃だというのに、昼間のように人がいて、空の色は18時みたいだった。この街は、日が沈まない街なんだって、素直に思った。いつかここで暮らしていく日があるかもしれない。死ぬまでに一度は暮らしてみたい。こんなところ、日本中に東京しかないんだろうと、思っていた。

 東京にくらす日は、案外あっさりとやってきた。住み始めて二週間になった。空はやっぱり明るかった。でも明るいのは空だけで、わたしは未だに、腹をくくれていない。サマークラークに応募しようかと一瞬だけ考えた。でも、直後に、前の大学の大学院の子達が応募するという話をしているのを見て、やっぱりやめておこうとおもった。反射的に、わたしはあの人達よりもずっとバカで能力がないから、採用なんてされるはずもないって、思ってしまった。きっとこの気持ちは死ぬまで消えない気がする。もし将来無事に弁護士になったとしても、もし相手方弁護士が、私の前いた大学の出身者だとわかったら、とたんに萎縮して何もできなくなってしまいそうな気すらしている。私立は、受かりそうな人には授業料免除をしているというツイートをたまたま見かけて、授業料免除をとれなかった私は、やっぱり受からないのだろうか、と挑戦もしていないことに諦めそうになっている。今までなんてことなかった、明日の為に僕がいる、が心に突き刺さる。思い出は僕を誘う。出身大学のこと、うちの大学では、と何度も呼びそうになる。天気予報は京都をみている。京都でイベントがあるのを見て、おっ近い行こうと思う、全然近くないのに。

 今の大学も、授業を受けていてわからないことはたくさんある。先生に当てられて、すらすら答えていることが、全然わからなくて、授業が終わってから、慌てて調べるということを繰り返している。わからないことだらけで、授業が終わったら先生に色んなことを質問している。前いた大学では、教授にわからないと質問したときに、なんでこんなこともわからないの?と言われたことがあった。でも今の大学の先生達は、みんな質問には真摯に答えてくれる。誰にもバカにされない。もしかしたら、自分の心に余裕ができて、被害妄想がなくなっただけなのかもしれない。だけど、わたしはそれだけで、安心している。少しだけ、前向きになれた。

 

 昨日、雨が降っていたことに気づかずに髪の毛を巻いた。外に出て、雨に降られて巻いた髪が元に戻ったときに、ふと、もしかしたら今日はつかちゃんもせっかく家をでるときにセットした髪が崩れて残念におもっているかもしれない、と思った。ここは日本の真ん中で、わたしと、つかちゃんも、ジャニーさんも、大企業の社長さんも、総理大臣も、みんな同じ天気をみて、今日は雨かーとか、今日は晴れてて気持ちが良いなとか、同じようなことを考えているかもしれない。そう思うと、少しだけ東京はおもしろい街だと思えるようになってくる。

 

 明日の為に僕がいるを歌っていた男の子は、数年の後にちゃんとデビューして、今日も私が住んでいるところと、そう遠くはないところで頑張っていて、わたしはその恩恵をたくさん受けていて。歩き出す未来に何があるか、今はまだわからないけれど、簡単なことだから、また、ABCから始めてみようとおもう。これは、前を向くと決めた私の決意文。

from ABC to Z

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