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少年法のこと、最近思ってること

 このブログは基本的にはドルオタブログであり、きわめて個人的な日記なので、あまり社会的なことをいうのは良くないかなと思いますが、きわめて個人的に昨今の少年犯罪についての状況に思うところがあるので、個人的にブログを書きます。

 まず最初に自分の属性について話しておきますが、基本的に少年法の厳罰化には反対しています。そして、法律の勉強を四年ほどしたものの、少年法や少年犯罪ついて専門的に勉強したわけではないので、知識としては、そこら辺をあるいている人と大して変わりません。ですから、間違ったことや、中途半端なこともあると思いますが、気になったら本などを読んでみてください。

 みなさんは、少年法というものがどんな法律であるかご存じでしょうか?メディアでのいろいろな意見を見ていると、大人に適用する刑法をあまっちょろくしたものだというとらえ方をされていることが多いように感じました。しかし、これもまた同じ場でよく言われていることでありますが、少年法は少年*1の健全な育成のため、矯正や環境の調整を行うことを目的とした法律です(少年法第一条)。つまり、そもそも刑罰をかすことを主目的とした法律ではありません。なぜならば、第一には少年というものは大人に比べて判断能力が未熟であるということがあげられます。よく、殺人を犯した少年に対し、人を殺してはいけないだなんて幼稚園児でもわかる、ということを言う方がいますが、ここでいう判断能力とは、そういう短絡的なものではないでしょう。たとえば、自分がどのような行為をすると相手にどのような影響がでるか、精神的肉体的に追い詰められたときにどのような行動を最適な行動だと判断するか、そういう部分が未熟である、ということも含めて、少年は大人に比べて未熟なのです。

 さて、そういった側面をもつ少年法ですが、だからといって、何でもかんでも保護、矯正というばかりではありません。たとえば18歳以上の少年には死刑を適用することができます。有名なのは、永山事件とかですね。最近だと光市母子殺害事件は犯行当時18歳1ヶ月の少年に死刑判決がでています(ただし再審請求中)。あとは、石巻三人殺傷事件などがありますが、これはまだ確定していません。

 また、少年事件は基本的に、児童相談所だったり家庭裁判所で取り扱うんですけど、一定の重い事件(殺人、強盗、傷害など)は、検察官が関わることとなります。ものすごく雑に言うと、大人の刑事裁判に近くなるということです。またこうした場合には、裁判員裁判に付されることもあります。

  • 少年法を改正すべきであるという声について

 最近、ニュースで少年犯罪がとりあげられるたびに、少年法を厳罰化すべきであるという声が上がりますね。実際にその声におされるようにして、少年法はどんどん厳罰化されています。きわめて感情的な意見になってしまいますが、思うことを書かせてください。

 大学に通っていてすごく心に残っている言葉があります。

最高裁までいくような事件って言うのは特殊な事件だってことを覚えておいたほうが良いよ。」

最高裁で裁判をしようと思ったら、地裁高裁と経て、さらに高裁から上告したときには最高裁に、これは最高裁でやってみないとだめな重大事件ですわ~、と思われる必要があります。しかし、現実としてほとんどの裁判は一審(地方裁判所簡易裁判所家庭裁判所など)で終わりますし、そもそも裁判ではなく和解でおわるケースも多いし、さらにはそこまでの紛争にすらならないで終わる事例がほとんどです。だから、最高裁まで行くような事件ばかりを普通だと思っていると、現実を見られなくなってしまう。

 これと、似たようなことがメディアで騒がれる事件にもあるのではないでしょうか。情報を受け取る側が驚いて食いつくようなセンセーショナルな事件ばかりをとりあげて発信しているのでは、と思ってしまいます。少年事件の中で殺人までやってるようなものはかなり少数なのです。その後ろには、たくさんの窃盗や交通事故、そのほかもっと軽微な事件などがあります。このような全体像を見ずに、ただ目の前にある一つの事象だけをみて、全体に関わる制度を変えよう、なんてすれば、制度は破綻します。大半の人は、テレビやネットで目についたニュースだけを見て、その先にある実体をわざわざ調べたりなんてしないのでしょう。調べれば情報なんて簡単にいくらでも出てくるのに。そうしてできた世論に、どれほどの価値があるのか私にはわかりません。

 また、同様に最近の少年事件は凶悪化していると、言っている人たちがいますが、統計上凶悪化していないし、減少傾向がずっと続いています。殺人事件の検挙数などは、1950年代から1960年前半と今とを比べると9分の1にまで減少しています*2(出生数は2.5分の1程度の現象)。これは、何のデータにも基づかない話だけど、結局のところ、少年がゲームをしたり、アニメをみていたり、インターネットに明るかったり、スマートフォンでやりとりをしていたり、某緑のグループチャットアプリ*3を使っていたり、自分によくわからないもののことを凶悪化という名前で呼んでいるだけなのではないでしょうか。

 それから、特に今回の川崎での殺人事件では、あんなやつが死刑にならないなんておかしい!という意見を見かけます。現在逮捕されている少年が犯人なのかどうかはわかりませんが、死刑になる可能性はあまり高くないような気がします。ただ、これは少年法があるから死刑にならないのではなく、そもそも大人が犯人であった場合にも死刑になる可能性は決して高くないと思います。死刑にするためには、死刑を適用することのできる犯罪*4が行われた上で、殺人だったら何人殺したとか、どうやって殺したとか、どういう理由で殺したとか、被告人がどういう人だったとかそういうことを勘案した上で死刑が決まります。一人を殺して死刑になることがないわけではないですが*5、そんなに多くはありません。また年齢も死刑を適用する上で勘案される事項にはふくまれることもあるそうで、その意味で少年犯罪が死刑になりにくいということも、言えないことはありませんが、凶悪な犯罪をおかした18歳以上に死刑を適用することは、今の少年法でもできます。上で述べたとおりです。

 ここに書いたことは、少し調べたらわかることです。感情で人を裁こうとするのは、魔女裁判とかわりません。わたしたちは中世に生きているわけではないはずです。日本は法治国家として、理性的合理的に法律を作り、それに基づき国家運営をしているはずです。ニュースをみていて、生活をしていて、おかしいなと思うことがあるなら、少しで良いから一度は調べてみて欲しいし、調べてみようと思えるような報道をして欲しいと思います。報道する方にもなにか政治的な意図がおありなのかもしれませんけど。

 だいぶ長くなってきたので、もう簡潔に終わろうと思うんですけど、まず一つは、被害者があれだけさらされているんだから、加害者も晒してやれって人を見ていると、どうして被害者をさらし者にしないようにするという方向に考えないのかな、と思います。俺がしんどい思いをしているのにお前が楽をする(正当な権利を行使している)なんて許さん!みたいなものですよ。

 それから、誰かを裁いたり、刑罰を科したりするのは国家の仕事です。もしも私人にこれが認められると、至る所でリンチが行われるようになりますよ。あなたの後ろで誰かがあなたのこと狙ってますよ。人の人権を奪った加害者に人権なんてない!と言っている人がいますが、あなたも同様に加害者の人権を奪う権利なんてありませんよ。

 あと、少年犯の顔写真や名前を公開しない理由として、神格化を防ぐためというものもあるそうです。自分と同じぐらいの年齢の子が、とんでもない事件をおこし、世間を騒がせニュースで大々的にほうどうされたということに対して、かっこいい!憧れる!という感情を持ってしまうこともまた、未熟な少年にはありえることなのでしょう。

・おわり

 なんていうか、言いたいのは、色々調べてみて欲しいということなんです。調べて知った上で、なお少年法は、厳罰化すべき、廃止すべきだとおっしゃるのなら、もちろんそれは尊重すべき意見だと思います。印象だけで語っているのはもったいないことだと思います。知識がなければ、それを応用して考えることもできないと思うので。言っていることは矛盾していますが、ここに書いてあることは大体受け売りなので、自分でも本を読んで勉強しようと思いました。世の中のことって難しいですね。

 

 

刑事政策講義

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*1:20歳未満の者

*2:犯罪白書

*3:あんなのただのメールだ。犯罪やいじめの温床だと思うなら、使ってみればいいのに。

*4:殺人、放火、強盗致死、強盗強姦致死など

*5:奈良女児誘拐殺人事件など