日誌

生きる活力はアイドルです

なぐりがき

君のことがずっと好きでいられると思ってた。ずっと一番だと思ってた。寂しさを埋めるためとか、そんな自分勝手な都合じゃなくて、こころから君のことを尊敬して、どんなことがあっても、君を思っていると思っていた。それがわたしの理想のドルオタ像であって、さみしいときだけ、アイドルに頼ってるのはバカな女だと思ってた。
きみのことを追いかけなくなった。忙しかった。ほかに興味の対象があった。現実に好きな人がいた。コンサートにいって最高だと思った。わたしには君しかいないと思っていた。でも、帰り道自転車をこぎながら明日のことばかり考えていた。明日また月曜日になれば、会えることばかり考えていた。
自分が浮かれているときのニヤニヤした顔が嫌い。自分が浮かれているときの、上擦った声が嫌い。現実に目を向けられるようになったから、アイドルのこと、一番じゃなくなるのって、そのアイドルのこと、本気で恋してたみたいでかっこわるい。あくまでもビジネスとして、観念として、美術として、芸術として、きみのことが好きだから、きみのことが好きなんだって思い込ませていたのに。現実を叩きつけられてる気がする。わたしは、ゲスでバカで、会うこともできない誰かに、本気で恋してたのかもしれないって。

AKB総選挙、指原のスピーチを聞きながら、去年のことを思い出していた。ずっと引きこもっているときに、毎日塚田くんのことを見ていた。確かに、希望だった。東京に来たくなかった。でも、塚田くんがいるから、って思い込ませてやってきた。なんにもなかった1人だった。孤独だった。どうしようもなかった。何も言えなかった。全部、全部、ひとりでなんとかしてた。

多分あしたも塚田くんが好き。もしかしたら、今の浮かれてる時間が終わったらまた、塚田くんが一番になるかもしれない。でも、そのときの、塚田くんのこと好きって気持ちは、なんだか、汚くて、申し訳なくて、自分の都合ばかりの、最悪なものかもしれない。

結局、お金を払うこと以外、なんにも意味はないのにね。

君に愛と平和を

つかちゃんが好きだ。大好きだ。なんで好きなのか、この話は再三にわたってしてるけれど、何度だって言おう。わたしは、彼が、プロのアイドルだから好きなんだ。

顔が綺麗とか、アクロバットがすごいとか、センスがいいとか、そんなことは、このさいどうだっていい。そんなものなくたって、彼がプロであるなら、わたしは彼のことが好きだ。(ただし、プロであるならば、結局今と同じだけの能力や容姿は手に入れてると思うから、卵が先か、鶏が先かみたいな話でもある。)

プロだから、好きだと言っても、何を持ってそれをプロの仕事だというかは、結局自分が何をアイドルにもとめているかに寄るんだと思う。わたしが、お金の対価として求めるのは、いつもニコニコしていることと、その場に適した対応をすることだ。
その場に適した対応というのが、また多分に価値観を含んだ表現だから難しい。でも、少なくとも、この前のアウト×デラックスにおいて、周りに笑われてキョトンとしていたのも、しれっと下ネタを言ったことも、わたしはその場に適した対応をした、プロとしてちゃんと仕事をしたと思ったから、わたしは、少なくとも、わたしは、あの番組が楽しかった。また一つ、塚田くんの好きなところが増えた。

ここから先に書くことは、あなたの気分を害することかもしれないから、気をつけて欲しいんだけど、

小さい頃から、芸能を生業にしているものは河原者だと言われて育った。彼らは、そういう目で見られるものなのだと言われて育った。自分の好きな人が誰かにバカにされていても、なんとも思わないのは、もしかしたら、そういう思想のせいなのかもしれない。だって、自分の身体を切って売って、お金を稼いでいるんでしょうって、思っている自分がいる。バカにされているのをみてると、心が傷む、みたいなコメントをしている人を見て、わたしが彼に向けている視線は、そういう、侮蔑的で、とっても、汚いものなのかもしれないって、思った。ここに至るまで、番組終了から15分。

文章にして、世界に放流するか悩んだけど、この感覚って、どれぐらいヤバいのか知りたくて、書いてしまったブログ。

あんまり深いことなんて考えたくないよね。直感だけで生きていたい。塚田くんのことが直感的に好きだ。それだけでいいのに、いろいろ考えてしまっては、自分の内側を見てしまう。超自己本位的愛情。

なんでもいいよ。塚田くんにテレビの仕事が増えた。それだけでいい。

ロー生が初めての傍聴に行ったよ

今週のお題ゴールデンウィーク2015」

 

ゴールデンウィークですね。私は2日から10日までの九日間が休みです。

 とりあえず勉強から逃れたいので、色々やってました。サイクリングとか散歩とかサイクリングとか。それから、ジャニーズWESTのコンサートに行きました。これはまた記事にします。そして!なんと!初めての裁判傍聴にいって参りました!!

 わたしは、法律を学ぶロースクールという学校に通っています。法律の勉強は始めてから五年目になります。しかし、面倒くささが先行して何故か今の今まで傍聴にいってこなかったのでした。だけども、法曹を目指そうとしている人間がこれではいかん(というか、今期刑事訴訟法を取っているので)世間様は平日だけど、私は休みなGWを活かして、行ってきました!以下、実際どんな感じだったかを書くので、よければ皆さんも行ってみてください。(極力専門用語を使わないで書いているので、ところどころ語弊が生じていますがご容赦ください。)

 

 今日は傍聴に行くぞ!と決めていたものの、だらだらしていた結果、午後14時前に東京地裁に到着しました。有楽町線桜田門駅からおりると、法務省赤レンガ庁舎の前を通って行くことになります。東京地裁は、東京高裁などと同じ建物の中に入っています。見た目は、普通のビルです。ただし、警備員さんがいっぱいいます。

 建物に入るとまず、手荷物検査があります。飛行機に乗るときと同じ検査を受けます。東京地裁は入って、目の前に警備員さんが座っている受付があって、その真横に開廷表があります。開廷表とは、どこの法定で、何時から、どんな事件の、どういう裁判手続きが行われているかが、書かれたものです。

裁判といっても色んな種類がありますが、大きく分けると、刑事裁判と民事裁判になります。刑事事件とは、みなさんもよく知るとおり、犯罪を犯したと疑われる人についての裁判です。一方で、民事事件は、おおむね刑事事件以外です。金返せとか、物返せとか、この土地は俺の物だとか、慰謝料よこせ、とか全部民事事件です。法律のことを全く知らずに民事事件を傍聴してもわけがわからないのではと思います。言い方は悪いですが、地味だったり、専門性が高かったりして、イメージがつきにくいのです。でも刑事事件は、日頃からニュースやドラマ小説などで触れる機会が多い分イメージもしやすいと思います。

また、高裁(高等裁判所)と地裁(地方裁判所)なら、地裁で行われる裁判を見に行った方がいいと思います。地裁の方が、事実について争うことが多いので、わかりやすいのです。そして、どういう裁判手続きを行うのかの欄には、新件、審理、判決のうちどれかが書かれていると思うのですが、審理が一番おすすめです。新件は一番最初の手続きで、ほとんど事務手続きで終わります。判決は、被告人に刑を言い渡して終わりです。突然見に行っても何が何だかわからないまま終わります。審理は、よくドラマの裁判のシーンでみるアレです。弁護人や検察官が、ばーっとやりあうアレです。現実はドラマみたいに派手ではないですが、審理回を傍聴すれば大体どういう事件で何が争点なのかはわかります。

最後に、どういう事件のものがいいか、ですが、とりあえず薬物事件を避ければあとは自分の傍聴してみたいものを選んだら良いと思います。

 ということで、開廷表をみて、どれにしようかなぁと思っていたところ、強姦未遂があったので、一つはそれに決めました。もう一つは、時間が合う物がそんなに亡かったので、詐欺事件のに、途中入室することにしました。

1.詐欺罪?

 東京地裁の一階はわりとどこにでもある庁舎という感じで、気楽にいたのですが、法廷のある階にあがってくると何とも言えない緊張感と静けさがありました。で、実際法廷に入ったところ、びっくりするくらい近い!あと暑い!というのが第一印象でした。本当に暑いしじめじめしてるし、身体に空気がまとわりついてくるみたいで、節電頑張ってるのかなぁと、思ってしまいました。傍聴席は、25席くらいで、半分ほど埋まっていました。そのうち半分がウォッチャーっぽい人、半分が学生のようでした。私が入室したときは、ちょうど弁護人質問が終わって検察側の質問に移ろうとしているときでした。途中入室しても誰にも気にされません。とりあえず、それでほっとしました。

 事件は、詐欺罪で仮釈放中の男性が、覚醒剤取引の受け取りだと思って現場に行ったら、じつは詐欺の受け取り役をやらされていたというもの(だと思う。)。故意がなければ詐欺罪は成立しないので、ずっと故意があったんじゃないかということを詰められてました。でも、被告人は警察に捕まるその瞬間まで、自分は詐欺をやっていたとは思い至らなかったって言い続けるんですね。検察も、被告人に逮捕の前に詐欺をしているという自覚をもったって言わせる一歩手前までは行くんだけど、以外とその一線はわらないんですよ。

 あと、一番衝撃だったのが、仮釈放中なのに、覚醒剤の受け取りをやること自体には、罪の意識が特になかったってことですね。まじかーそんなもんなのかーと、びっくりしました。世界は、まだまだ知らないことだらけです。

 とにかく、部屋がじめじめしていて、検察に詰問されている被告人をみていて、手錠と腰縄を生で見てしまって、色々と気持ちが落ち込んでしまった。軽い気持ちで傍聴にやってきたのに、30分くらいみていて、すでに犯罪には関わりたくないと深刻に考えるようになってしまっていたのでした。

 

2.強姦未遂

 そして、二つ目の事件が、住居侵入と強姦未遂。さっき傍聴していた事件と、裁判長と検察官が同じ人で、他のにすれば良かったかもと、少しだけ思ってしましました。

 これ、性犯罪だからあんまり事件の詳細書いたら駄目な気がするんだけど、被告人は性犯罪の常習犯で、前も性犯罪で長いこと懲役を受けていたらしい。そして、刑務所から出てきてすぐに起こした事件。夜中に鍵の開いていた女性宅に忍び込んで、わいせつな行為をしたけど、強姦はする前にやめたらしい。ちなみに、強姦になるかならないかのラインは、挿れたかどうかです。いれないかぎり何してもわいせつ行為です。この事件のポイントは、強姦をしないで途中でやめたっていうところで、これがもし自分の意思でやめようと思ってやめたなら、中止犯っていうものになって、刑が軽くなります。でも、被害者が○○してあげるから!っていったとか、警察がやってくるのに気づいて逃げた!みたいに、自分の意思ではない事情で犯行をやめた場合には中止犯にならないのです。なので、被告人は何を思って途中で強姦をやめたのか、が争点になっていました。

 この被告人、検察からの質問にもわりと真面目に何でも答えているように見えたんですよ。変にごまかしたりしてる印象もなく、まともに受け答えをしている。それが逆に、変な感じというか。だってこの人、検察側の話を聞く限りでは結構な常習犯なのに、なんでこんなにはきはき話してるんだろう、って。まるで他人事みたいに話してて、ここでも、世界にはまだまだ知らないことがたくさんある・・・と。

 というか、夜中に突然男が押し入ってくるなんてこと、本当にあるんだなと思って恐ろしくなりました。窓から、女性が住んでいる部屋かどうか確認したり、窓が開いてるかどうか確認してる。ドアノブ回してドアに鍵がかかってるかも確認しているという、陳述を聞いていて、ほんとに防犯には気をつけようと思いました。カーテンあけっぱで寝たり、ベランダの見える位置に洗濯物干したり、玄関の戸締まりちゃんとしないのほんとにダメ!危ない!

 わたしは、全然性犯罪の被害にあったことない人で、夜中に下半身丸出しおじさんに遭遇したぐらいなんだけど、それですら、未だに頭に焼き付いて残ってるのに、夜中に部屋にとつぜんおっさんが入ってきて、わいせつな行為をされてなんてしたら、もう一生頭からそのこと消せなくなるんだろうなと思うと、ただひたすらに被害者がかわいそうだなとしか思えませんでした。

 

で、ここでもう色んな意味で疲れてきたので、帰りました。

 検察の質問って結構きついんだけど、それを受けてる被告人をみていて、こんな風になりたくないなぁと思ったのが素直な感想です。惨めっていうか、情けないというか。刑事弁護やりたいって思ってた時期もあったけど、実際に裁判を目の当たりにしていると、こんな人たちの弁護なんかできるのかな?と思うし、被害者がただひたすらにかわいそうだな、と思ったのも素直な感想。

 軽い気持ちで傍聴に行ったけど、結果としていろいろ考えさせられてしまった。とりあえず、すくなくとも犯罪に巻き込まれないように気をつけられることは気をつけるぞ、と思うに至ったのでした。

 傍聴をすると、直感的に、犯罪はしちゃいけないなと感じられると思うので、言ったことない人には是非軽い気持ちでいってみて欲しいです。よく、人の大事な人生がかかっている場なんだから、軽い気持ちでなんかくるべきでないという人もいますが、実際に傍聴をしていると、とても冷やかしの気持ちだけではみていられません。そんなにヘラヘラしていられないです。だから、とりあえず、軽い気持ちで裁判所まで行って、色々考えるきっかけにしてくれたらな、と思います。

 

そんなGWでした!GWはまだ終わらない!

嬉しかった言葉

「お前は賢いよ。周りの人よりずっと賢い。でも、周りの人もお前と同じぐらい賢いとは限らないってことを忘れるなよ。」

今週のお題特別編「嬉しかった言葉 」
〈春のブログキャンペーン ファイナル〉

 

このお題に回答すると、何かがもらえるんだろうか。そんなことはどうでもいいのだけど。

高校時代の恩師に言われた言葉。細かい言葉尻は忘れた。でもそんな感じのことを言われた。学祭で、クラス企画の代表をやっていたときに、私が計画したとおりに、みんながサボらずにやれば、一番効率的にできて、みんなの受験勉強をする時間もとれて、学祭もほどほどにちゃんとできるのに、なんでみんなちゃんとやらないんだろう。って、思っていたときに言われたこと。

言われたときは、そうかーこの人は今、わたしのこと、賢いって肯定すれば、私の気持ちが収まると思って言ってるのかなぁ先生ってすごいなぁ、と納得したような納得しなかったような気持ちでいたんだけどね。

 

そのあと、何年も経って少しずつこの言葉の意味がわかるような気がしてきています。それぞれのエピソードは、誰かのバカにすることと紙一重だから言わないでおくね。いつもいつも、自分が賢い側に回るわけではなくて、自分が賢くない側に回ったときに、もっと丁寧に説明してくれればいいのになと思うことも増えました。

人間はそれぞれできることが違うから、自分以外の人はみんな自分とは違うのだと言うことをいつでも忘れずにいたい。

この言葉を折に触れて思い出して、そんなことを思うのです。

 

 

広島に原爆を落とす日

答えのあることを、考えろ言われることが大嫌いだ。

答えのあることなら、最初から答えを教えて欲しい。考えさせた上で、それは違うというのは、卑怯以外の何者でもない。だから、昔から、道徳の授業が大嫌いだった。何を言えばいいのかはわかっていて、でも、人間が考えることは一つには収束しないから、嘘をついて、自分の考えだと称して、正解を書く。それが大嫌いだった。

昔通っていた中学と高校が、左そのもののような学校だった。道徳という授業の代わりに平和教育をしていた。平和教育なんて、答えは一つしかない。戦争はしてはいけないし、他人を傷つけてはいけない。わたしたちは手をつないで仲良く生きていける。それが答え。たかが、クラスの中ですらみんなで仲良くできなくて、ターゲットを変えてはいじめをしていたくせに。私たちは仲良く生きていけないなんて、幼稚園児でもわかることだ。仲良くしましょうという標語は何の意味も持たない。仲良くしたいなら、仲良くするための制度を作らなきゃいけない。時には、一歩下がってお互いに踏み込まないようにすることも必要だ。世の中にはどうしても仲良くできない人もいるけど、そういうときにどうしたらいいのか考えなきゃいけない。なのに、平和とか、反戦とかいう言葉の前ではみんな考えることをやめて、たった一つの答えだけが認められる。受け入れられる。それ以外のことを言う人は、頭のおかしい人で、危ない人で、非国民だ。

別に、戦争がしたいわけじゃない。わたしは他人のせいで死にたくない。死ぬときは自分の都合で死にたい。だけど、平和を声高に叫ぶ奴は大嫌いだ。自分が絶対正しいと思ってやまない奴は大嫌いだ。そうやって叫んでる奴の前で、何の疑いもなくそうだね、それが正しいねといってるバカはもっと大嫌いだ。そうやって、者を考えないで、だまされて、気づいたときには取り返しのつかないことになっていてしまえばいいのに。勉強をしろ。色んな意見を聞け。誰かが話していることが如何に主観的で危ういものであるかを知れ。

 

そんな調子なのに、わざわざ、明らかに戦争物の舞台を見に行ってしまった。そして、ぐったりして帰って来た。戸塚祥太が美しかった。ずるいと思った。美しいということは、全てを覆してしまうんだと思った。

一つだけ、私の感情をこんなにも揺さぶっているのは、ただ一つ、ディープ山崎が、棒で、部下をバシバシ叩いているときに言っていた台詞である。正確な台詞はわからないけど、京都帝國大学にいた私がなぜこんな土人と豚しかいない島で二年も過ごさなければならないのか、とか、そんなことを言っていたくだり。学歴のない者のことをバカにしていた、見下していた。深いことはわからないけど、表面的には、それはプライドの裏返しなんだと思った。自分は、すごいから、すごいのに、どうして認められないのかと、そして、誰かに認めてもらえない自分を、自分で認めるための方法が、誰かのことを見下すことなんだ。今気づいたけど、これってすごく古典的なことだね。そんな、古典的なことこそ、今自分がとらわれていて抜け出したくて仕方がないことそのものだったんだ。だから、そんなことを言って、冷たい視線を送られているディープ山崎をみるのがすごく辛かったんだ。

 

それから、ディープ山崎が、誰よりも日本を愛しているのに、周りから、混血として、異物としてみられていたことをみて、頭の中をよぎっていたことがある。わたしは、日本人で、おそらく500年さかのぼっても、確実に日本人である。ただ、北海道に生まれた。雪が降っても槍が降っても、そのせいで人が死んでも、全国ニュースでそのことが取り上げられることはなかった。それをみて、母は、ここは日本じゃないから仕方ないんだよ、と私に教えた。だけど、私は自分の生まれた国が大好きで、この国のために働きたいと本気で思った。それから、大学にいって、はじめて北海道という島から出て、本州でできた友達に、アイヌと言われてバカにされたことがあった。(ちなみにわたしの家には、アイヌの血は一滴も流れていない。)もし就職して札幌に飛ばされたら、仕事辞めると言われたこともある。きっと彼らの心の中に、差別なんて気持ちはほんの少しもなかったんだろう。でも、ただ単純に彼らの思い描く日本地図の中に、北海道は含まれていなかった。それだけだったんだと思う。でも、きっとそれって、混血なる人たちに対しても同じことなんでしょう。彼らの思い描く、自分たちの仲間の中に、血が混ざった人たちは入っていないと言うだけの話で。

 

だけど、こんなことを言うけれど、私はプライドが高いから、色んな者を見下して差別しているんだ。こんだけ理解できないと、いやだと思ってきたのに、結局、そのプライドの高さを上手く扱えなかったが故に、誰かのことを見下して、自分の平静を保っているんだよ。なんて最低なんだ。だから、ディープ山崎が、部下を棒で叩きながら、自らの境遇に憤っているシーンが耐えられなかったんだ。自分の弱さそのものだったんだから。

 

残りのことはよくわからない。何なら、舞台全体として一体何が起こっているのかよくわからなかった。ただ、照明がまぶしかった。大きな音がして、色んな人が長い台詞を話していた。昭和とか、天皇とか、そういうワードチョイスの一つ一つに少しひっかかっていたけど、最後までみて何となくそれは納得した。戸塚祥太の顔がきれいだった。こんなにきれいな顔をしているのに、自分を卑下しているようにも見える戸塚祥太のことがやっぱりむかつくと思った。戸塚祥太は確実にそこにいたけれど、もしかしたらそこにいないのではないかと思うぐらい、白くて発光しているように見えた。とにかくきれいだな以外に特に感想が出てこないくらい、きれいだった。民主主義は、誰かが幸せになれば誰かが不幸せになる制度だなんて諦める奴は嫌いだ。そうやって諦めたら誰も救われない。みんなだまされて上手いように利用されて終わりなってしまう。誰もが、幸せになれるような制度を作ろうと、制度を作り替え続けることが民主主義なんだ。だから、

 

 

公演が終わって、学生と思われる女の子二人組が、ねぇこれって実話なの?原爆落としたのって本当にディープ山崎って人なの?と話をしていた。それを聞いて、あぁこれだから学のない人はだまされるんだと、あざ笑いながら、初めてのサンシャイン劇場を後にした。


空がいつまでも赤い街

 生まれ育った町は栄えた田舎だった。人口は10万人もいなかったけれど、一応地方中核都市だったからインフラは整っていたんだと思う。駅から家に帰るまでの道はずっと街灯で照らされていて、民家はそれぞれ玄関の電気をつけていた。そもそも、ほとんどのお店は19時ごろにはしまってしまうから、そんなに夜遅くに家の外に出たこともないんだけど。

 少し前まで京都に住んでいた。京都は、生まれた町よりもずっと都会だったけど、なぜだか夜はとても暗かった。街灯が全然なかったし、いや、それよりも、町がじっとりしていた。別に京都が盆地で湿気が多いからではなくて、人が出している空気に湿り気があった。本当のところは、自分の心がすごく暗かったかもしれないけど。

 

 東京に初めて来たとき、深夜に空を見てびっくりした。空が赤かった。もう12時も回る頃だというのに、昼間のように人がいて、空の色は18時みたいだった。この街は、日が沈まない街なんだって、素直に思った。いつかここで暮らしていく日があるかもしれない。死ぬまでに一度は暮らしてみたい。こんなところ、日本中に東京しかないんだろうと、思っていた。

 東京にくらす日は、案外あっさりとやってきた。住み始めて二週間になった。空はやっぱり明るかった。でも明るいのは空だけで、わたしは未だに、腹をくくれていない。サマークラークに応募しようかと一瞬だけ考えた。でも、直後に、前の大学の大学院の子達が応募するという話をしているのを見て、やっぱりやめておこうとおもった。反射的に、わたしはあの人達よりもずっとバカで能力がないから、採用なんてされるはずもないって、思ってしまった。きっとこの気持ちは死ぬまで消えない気がする。もし将来無事に弁護士になったとしても、もし相手方弁護士が、私の前いた大学の出身者だとわかったら、とたんに萎縮して何もできなくなってしまいそうな気すらしている。私立は、受かりそうな人には授業料免除をしているというツイートをたまたま見かけて、授業料免除をとれなかった私は、やっぱり受からないのだろうか、と挑戦もしていないことに諦めそうになっている。今までなんてことなかった、明日の為に僕がいる、が心に突き刺さる。思い出は僕を誘う。出身大学のこと、うちの大学では、と何度も呼びそうになる。天気予報は京都をみている。京都でイベントがあるのを見て、おっ近い行こうと思う、全然近くないのに。

 今の大学も、授業を受けていてわからないことはたくさんある。先生に当てられて、すらすら答えていることが、全然わからなくて、授業が終わってから、慌てて調べるということを繰り返している。わからないことだらけで、授業が終わったら先生に色んなことを質問している。前いた大学では、教授にわからないと質問したときに、なんでこんなこともわからないの?と言われたことがあった。でも今の大学の先生達は、みんな質問には真摯に答えてくれる。誰にもバカにされない。もしかしたら、自分の心に余裕ができて、被害妄想がなくなっただけなのかもしれない。だけど、わたしはそれだけで、安心している。少しだけ、前向きになれた。

 

 昨日、雨が降っていたことに気づかずに髪の毛を巻いた。外に出て、雨に降られて巻いた髪が元に戻ったときに、ふと、もしかしたら今日はつかちゃんもせっかく家をでるときにセットした髪が崩れて残念におもっているかもしれない、と思った。ここは日本の真ん中で、わたしと、つかちゃんも、ジャニーさんも、大企業の社長さんも、総理大臣も、みんな同じ天気をみて、今日は雨かーとか、今日は晴れてて気持ちが良いなとか、同じようなことを考えているかもしれない。そう思うと、少しだけ東京はおもしろい街だと思えるようになってくる。

 

 明日の為に僕がいるを歌っていた男の子は、数年の後にちゃんとデビューして、今日も私が住んでいるところと、そう遠くはないところで頑張っていて、わたしはその恩恵をたくさん受けていて。歩き出す未来に何があるか、今はまだわからないけれど、簡単なことだから、また、ABCから始めてみようとおもう。これは、前を向くと決めた私の決意文。

from ABC to Z

from ABC to Z

 

 

 

卒業しました

今週のお題「卒業」

 

3月24日、大学を卒業しました。

前日に引っ越しの荷物を見送った後、ホテルに泊まり、当日は朝の7時前から着付けをされ、コスプレをしている人たちに冷ややかな視線を送り、初めて聞く学歌を楽譜の初見で歌い(このときばかりはソルフェージュをやっていたことをほんの少しだけ良かったと思い)学部学位授与式と聞いていたのでどんなありがたい話が聞けるのかと思っていったら、事務作業の後に事務的に証書をもらい、友達といつもの宅飲みのように朝までだらだらのんで、気づいたら次の日になっていた。

学位証をもらったときに、学位証ケース?をもらったんだけど、そこに自分の大学の名前が入っていて、そのとき初めて実感を持って、ここの大学に通っていたんだなぁと思った。大学は通っているだけでは、そこの大学の学生になれるようなものではなくて、出来損ないで、頭が悪くて、大学に何の貢献もしなかった私は決してここの大学の学生とは言えないと思っていたけど、学位証をもらったときだけは、○大生だったと、言えるような気がした。

明日から別の大学に通う。ほんとうは、ほんとうは、もともといた大学にそのまま上がりたかった。ほんとうは、あんな大学にもういたくなかった。ほんとうは、一週間前までいたあの街に帰りたい。こんな坂ばっかりでコンクリートばっかりの街になんていたくない。ほんとうは、あんな街せせこましくて人が優しくなくてだいっきらい。ほんとうは、結局文句ばっかりで、自分がどうしたいかなんて何にも考えてなくて、ただ漠然と自分の小さい頃の夢を考え直すこともないまま追いかけ続けていて、どうしたいかよく考えていないから少しずつ少しずつ高度は下がってきて、でもそれを真正面から受け止められないから文句ばかりで。

いい大学だった。大好きな大学だった。大学四年間で自分がやっていたことは、正直サークルだけみたいなもので、それを無駄だって言う人もたくさんいるけど、わたしは満足してるからそれでいい。院にあがれなかったのはサークルのせいじゃない。自分のせい。楽しかった。今まで知らなかったことも経験できなかったことも、たくさん経験できた。だから、それでいい。

 

夢を叶えるために一番大切なのはあきらめないこと。辞めないということがどれだけ大切なことか、大変なことか。それもまた人生だけど、わたしは絶対諦めない。辞めない。